もうすぐ十五夜ですね。
昨夜も雲ひとつない綺麗な月さまがお目見えでした。
この時期は秋雨前線も比較的おとなしくなって
気候も安定することから、昔の体育の日は10月10日に制定されていたのだそう。。
今年の運動会は各地で中止やら無観客(。。って意味なくない?)やら規模縮小での開催となっているようですね。コロナでは子供達が一番の被害者ではないでしょうか。
コロナへの不安も、これから秋冬に向けてどんなふうになって行くのか。。。気になるところです。
そんなコロナへの不安。。。
それに付随する未来や現在の悩み。。
少しでも追い払う手立てがあればいいんですが。。。
潜在意識はミニマルでHappyになる♡
sunntmoonのkzです。
【今、不安を感じている貴女へー後編ー】
その不安を追い払う方法
不安というのはドンドン心の中で増殖してゆきます。
その原因は脳のネガティブな性質だと前回、お話しました。
「いいこと、楽しいこと」と「よくないこと、悲しいこと」なら
脳は「よくないこと、悲しいこと」を切り取ってきて私たちの感情にセットアップするのが常です。そして感情はこう処理します。。「もうダメだ!できっこない。最初から無理だったんだ」
そして本当に「無理」な状態を作り出す。
本当に不思議なのですが、「無理」だと決めれば「無理」になるし
「大丈夫」だと決めてしまえばこれが案外「大丈夫」になって行くんです。
私の体験談ですーーー💐
もう今から10年も前のことです。
母が他界しました。
ちょうど今頃の季節。母の病が姿を現しました。突然、喋れなくなってしまったのです。
慌てた私は、嫌がる母を説得し救急車で病院へ。搬送先は天理よろず相談所
県下でも屈指の総合病院。
沢山の検査の結果、神経膠芽腫という病名を告げられました。それは脳腫瘍でした。手術をしても体の機能が奪われるだけで、再発は必ずするという悪性レベル5の脳腫瘍でした。余命6ヶ月の宣告を受けました。
手術をすると寝たきりの状態で、余命は1年だとも言われました。
薄暗い処置室で、脳神経外科の主治医と向き合っていた私。。。
たった一人で、私は必ず逝ってしまう母の今後の治療方針を決断しなければならなかったのです。
そして私の答えは。。積極的治療に対して…「何もしない。」でした。
例え、、、短くても、母と笑って暮らせる時間を選んだのです。
家に連れて帰り、父と私とで母の看病がスタートしたのです。
その時、母方の祖母も入院していましたので私は二人の面倒を看るということとなりました。
と、、、こんな風に書き起こしてくると、すごく大変だったんだなーと思われるでしょうか。
母と祖母を見送った時、親戚の人たちから言われました「kzちゃん、大変やったやろ」と。。
ところが、私のその時の感情は
もちろん母の病への悲しみは辛いという限界をはるかに超えていました。
「この山を私は超えられるだろうか?」と、、そして、何もしないと決めたことが
母にとって間違いだったのではないか?など、心はとても揺れ動いていました。
けれど、母や祖母のお世話に対しては何一つとして辛さや大変さを感じることはありません。そう1ミリもないのです。
あとで親戚の人たちに「大変」という言葉を投げかけられて初めて「あ、、そうなんか。周りから見たら私は大変やったんか」と改めて思ったものです。
確かに、、そう言われれば大変だったのかもしれません。
でも、やっぱり何も大変ではなかったのです。
つまり、、、それが人間の感情であり感覚なんです。
遠くない将来に大好きな母は逝ってしまう。そこに不安はもちろんあるんです。
でも、その時は、ただただ母を笑顔にしたい!つまらないことも面白可笑しく話して
笑わせてあげたい。日に日に状態は悪くなっていく。。だからこそ「今」に一生懸命だったと思います。
さて。。。
貴女は、何に不安ですか?
「今」に不安なことって、どうでしょう。。
不安というのは概ね勝手な憶測が原因の未来からやってきます。
私のケースのようの避けることのできない「母の死」という未来への恐怖と不安にだって
「今」にフォーカスすることで、気づけば薄らいでいた。。ということになったわけです。
「今」の積み重ねが「未来」
ならば「今=幸せ」だとすれば答えはとても簡単ですよね♫
今=幸せ×未来=とても幸せ
こんな感じでしょうか?
ここに掛け算が正しいのかどうかは、、、ごめんなさい。わかりませんが
イメージとしてはお分かりいただけるのではないでしょうか(笑)
是非、今日の終わり、、お布団の中で何でもいいんです。何もなくても!です
「今日も良い一日やったな〜」と呟いて見てください。
脳の夜の作業が効率よく、、そして翌朝にはポジティブな感情を脳は用意してくれているかもしれません。
追伸ーーー💐
母は発病からお医者様の宣告通り6ヶ月で旅立ってゆきました。その間、片言でも話したり笑ったりできたのは2、3ヶ月だったと思います。母は私に「kzがきてくれたら楽しい」と笑顔になってくれたこと、嬉しかったです。そして、これで良かったんだよね。と思える「今」なのです。
母の旅立ち後、2ヶ月してから祖母が旅立ちました。
きっと母が連れて行ったのでしょう。。。
桜散る。。。春、真っ盛りの午後の出来事でした。
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最後までお読みくださりありがとうございました。
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